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英語への「慣れ」を養う指導がしたい(藤本)

指導について 英語への「慣れ」を養う指導がしたい(藤本)

こんにちは。藤本です。

今日は指導していて思うことを書きます。指導者向けでも学習者向けでもあります。つらつらと思いついたままに書いていくので読みにくいかもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです。

吉田塾は英語専門ということもあり、英語に関しては比較的ハイレベルの指導にまで対応できます。しかし、実際に通ってらっしゃる生徒さんはもともと英語が得意という方はあまりおらず、むしろ英語が本当に苦手で、学校で落ちこぼれていたレベルの方が多いです。

体験授業でもそういう生徒さんが圧倒的に多いのですが、やはり実際に見てみて思うのは、「英語に対する慣れがなさすぎる」ということです。5分でも接してみればすぐに分かるのですが、持参した教科書を使って音読したり意味とりしたり知識について発問したりしていますと、まるで英語をはじめて見たかのような反応をするのです。

たとえば音読させてみますと、とんちんかんな抑揚で、アクセントも何もない平坦な音を変なところでぶつぶつと切りながら、ぎこちなさそうに読み上げます。中学低学年ならまだしも、ある程度英語の経験もあるはずの高校上級生でもそういう方は割にいます。

意味とり作業をしていてもそうです。学校教育をふつうに受けていれば努力を介さずとも覚えているだろう単語を覚えていなかったり、これまでの英語経験で直感的にでもなんとなく意味にアクセスできるような文法項目に当たっても、まるっきり誤った解釈をしてしまいます。(たとえば、[名詞 doing]という形はさまざまな解釈プロセスがありますが、あまり英文法を知らずとも経験則で「『doingする名詞』と読むのだろう」という直感が働きます。たとえ解釈が誤っていたとしても、この直感自体は大切です。)

書きとらせても、「慣れ」の欠如が顕著に出ることがありますね。極端な例は、「犬」をbogと書いてしまうようなケースです。

本当に、中高生を指導していると、英語の感覚とかセンスとか以前に、英語に対する慣れが全くないことをひしひしと感じます。英語は知っているか知らないかによるところが非常に大きいですが、これは単に「知らないからできない」という問題ではないのです。「普通に教育を受けてきていたら特に努力をしていなくてもそれは身についているものじゃないの?」と感じるところに課題がある生徒があまりにも多いのです。英語という言語の、理屈に入る前段階のベースの部分が大きく欠落しているのです。

昨年まで集団指導をしていたときに感じてきたことなのですが、何度も何度も同じ知識を繰り返し提示しているのに、生徒たちには一向に定着しないということが本当によくありました。10回言っても全く頭に残っていないことなんてザラです。そういう生徒さんに対して何をするかと言うと、与えられた時間も限られた現場の一講師ができるのは、「ちゃんと復習しようね」とか「帰ったら暗記してね」とか、そんな声がけをする程度です。覚えればなんとかなる、というのは間違いないので、教室指導のあとは生徒の責任にして、「復習しよう」で済ませる。そういうことはよくあるのではないかと思います。

ただ、そういう生徒さんはほとんどが、前述したような英語のベースが欠落していることが多く、そうした場合たとえ復習して完璧に覚えたとしても数字の羅列を記憶したのと同じように、そこに意味があるものとして覚えておらず、知識を実感に落とし込めていません。たとえば「関係代名詞thatは形容詞節を導きます」とすらっと言えたとしても、それが何を言っているのか全くわかっていません。

英語に苦しんでいる生徒さんを見ると、変に高校英文法やら解釈をやらせる前に、「慣れ」の部分、つまり英語に対する直感を養うほうが先決なのではないかと心底思います。そしてこれは僕自身の経験によりますが、直感は理屈ではなく、身体的なプロセスで養ったほうがはやいです。音声を真似て何度も声に出したり、英文を頭に入れようと一生懸命書きとったり、そういう身体的な作業を通して行うと、どういうわけかここが養われます。

前のエントリにも書きましたが、僕は中高の時に学校教育でいろいろな英文マテリアルを読み、書き、覚えました。そういう作業で英語を身体を使って覚えてきたためか、英文を見たときに音声を聞かなくとも、英語の音で頭の中に再生されます。ここで息をついで、ここで盛り上げて、ここはすーっと流れるように、逆にここはゆっくりと、そういったイメージがぱっと湧きます。これは何も特別なことではないです。英語がある程度できる人であれば、誰しもしていることだと思います。言葉ですからね。日本語にあたるときと同じです。

最近はどちらかというとそういう指導がしたい。たとえば、ひとつ誰もが知っているような絵本なんかを持ってきて、それを何度も何度も聴いて、声に出して、書きとって、頭にことばとして叩き込むなどです。逆に、そこのプロセスを欠いた言語教育は本当にことばを教えていると言えるのかと、自らの指導を振り返りつつ悩みます。自信を持って「ことばを教えている」と言いたい。吉田塾渋谷校でもそんな指導ができないか、今いろいろと考えを巡らせています。告知済みの「英検®︎準1級講座」はその布石となるようなものです。ご興味ある方はぜひご受講ください

時間もなく推敲もしないまま書いたので雑文になっているかもしれませんが、ここまで読んでいただきありがとうございました。ではまた。



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